「大文字焼き」って、見たことはありますよね。
実際に見たことがなくても、TVやネットでその画像くらいはよく見かけることでしょう。
これは、「大」の字の形に炎を燃やす京都の夏の夜空を彩る風物詩とも言える行事です。
ただ、本当は「京都の五山送り火」と言って、大文字焼きとは呼びません。
しかも、京都の人は、大文字焼きと呼ばれると不快な感情を抱くそうです。
でも、何で大の字なんでしょう。
その意味や起源は何なのでしょう。
今回は、この不思議たっぷりな京都の五山送り火について探っていきましょう。
京都の五山送り火とは?その起源
お盆の時には、迎え火や送り火をするのは知っていることでしょう。
年に一度、ご先祖様や故人の霊が帰ってくると言われているのがお盆です。
その霊が迷わないようにするための目印として焚くのが迎え火や送り火です。
京都の五山送り火は、このお盆の送り火に当たるものです。
ただ、通常の送り火と違って、そのスケールや形が全くと言っていいほど違います。
京都を囲む5つの山で、「大文字」・「妙法」・「船形」・「左大文字」・「鳥居形」の形に火を焚くようにします。
この5つの山で送り火をすることから、「五山送り火」と呼ばれるようになったのです。
ただその起源にはいくつかの説があり、不思議なことにはっきりとしたことは分かっていないのです。
2.室町時代の「足利義政説」
3.江戸時代の「近衛信尹説」
1.平安時代の「空海説」
浄土寺が火災になった時に、山上に本尊阿弥陀仏が飛来して光明を放ち、空海がその光明をかたどって大の字と書き改めたという説です。
ただ、どこにも記録として残っていないため、単なる俗説とされています。
2.室町時代の「足利義政説」
足利義政が息子である義尚の冥福を祈るために始めたという説
大文字の送り火に関連する資料等が銀閣寺で見つかっていることから、最も有力視されている説です。
3.江戸時代の「近衛信尹説」
寛永の三筆と呼ばれた能筆家である近衛信尹による説
「案内者」という書物には、近衛信尹の筆画を元に大文字の火を灯したとされています。
このような説があるのですが、これだけ大掛かりな行事なのにその正確なところが分かっていないのは何とも不思議なものです。
京都の五山送り火 その意味は?
この「大」の意味ですが、これにもいくつかの説があってはっきりしていません。
2.空海が大の字の形に護摩壇を組んでいたとする説
3.北極星をかたどったとする説
などがあり、よく分かっていないのです。
起源もそうですが、その意味も謎ということになってくるのです。
送り火ということですので、何らかの霊を送っていることになるのでしょうが、それがわからないというのも不思議なものです。
昔から都になったりして色々な伝説が生まれている地域なので様々な言い伝えがあるのでしょうね。
余談ですが、京都の五山送り火では、迎え火というのがないんです。
何と言っても、呼び名が「五山送り火」ですから。
通常、迎え火で故人の霊を迎えて、送り火で戻ってもらうというものですが、京都では送るだけということになってしまいます。
では、一体、いつ迎えるのでしょうね。
考えれば考えるほど不思議な京都の五山送り火ですが、その不思議さも一つの風流なのかもしれませんね。
まるで、真夏の夜のミステリーといったところでしょうか。
京都の五山送り火 その点火時間は?
五山送り火は、お盆の送り火ですので、毎年8月16日に焚くようになります。
そして、その点火時間と順番は以下のようになっています。
・妙法(万灯籠山、大黒天山) ・・・ 午後8時05分
・船形(西賀茂船山) ・・・ 午後8時10分
・左大文字(大北山) ・・・ 午後8時15分
・鳥居形(嵯峨鳥居本曼荼羅山)・・・ 午後8時20分
「大文字」→「妙法」→「船形」→「左大文字」→「鳥居型」という文字や形にかたどられた送り火が、京都の東側から西側に向かって、5分毎に点火されていきます。
これらの送り火は特に消火作業はせず、30分から1時間程度で燃え尽きるようになります。
雨天等の天候によって時間がずれることがあります。
ただ、台風等の悪条件でなければ中止になることはないようです。
観光等を予定している場合には、事前に確認するといいですね。
まとめ
京都の五山送り火は、夏の風物詩とも言える行事です。
ただ、その起源や意味がはっきりしていない不思議な伝統行事なのです。
起源や意味については、いくつかの説があります。
起源では、室町時代の「足利義政説」が有力視されています。
意味についてははっきりしてないです。
送り火をする時間は、決まっていて、毎年8月16日の午後8時から開始されます。
「大文字」→「妙法」→「船形」→「左大文字」→「鳥居型」という順番に5分毎に点火され、およそ30分~1時間後には自然消火されます。